ジョニー・デップとジェームス・ディーンが愛したタートオプティカル「アーネル」。

1948年に創業、ジョニーデップ、ジェームス・ディーン、ブラッドピット、デビッド・リンチ、フランクリン・ルズベルト大統領など、多くのアーティストが愛用した伝説の眼鏡ブランド「Tart Optical」。
ニューヨークで設立されたタート社はメタルとプラスティックの融合によるコンビネーションフレームを取り入れ国際的な地位を固めました。ファッション性だけではなく、七枚丁番を採用し耐久性のあるものづくりを進めました。日本の技術力を背景に復活を遂げ、当時のデザインに採用されていた伝統の7枚丁番や鋲デザインをそのまま忠実に再現し、実用性とクラシカルな雰囲気を再現することができました。しばらく市場では手に入りにくい状況でしたが、70年近くもスタンダードであり続ける名品ゆえに取り扱うことになりました。特に人気のあるジョニーデップやジェームス・ディーンやブラッドピッドに愛用されているモデル「Arnel」。熟練の職人が仕上げる手仕事の技術が産む品質と50年代の古き良きアメリカの雰囲気が魅力的です。当時の最高品質を忠実に再現し、現代に蘇らせるためにタート社と正式なライセンス契約を経ています。当店にはこの「Arnel」がサイズ違いで3色、6本入荷しました。マニアに人気の「Arnel」。皆様のお越しをお待ちしております。


Deeds,Not Words.

一日に終わりを告げ、ベッドに横たわり目を瞑る。今日の日の出来事が脳の中で処理され映像として浮かんでくる。目まぐるしく浮かんでくる時もあれば、ゆっくりと浮かんでくる時もある。その絵が止まっている時もあれば動いてる時もある。色彩豊かな時もあれば無彩色の時もある。声が聞こえる時もあれば歌が聴こえてくる時もある。そういう心の蠢きある時にも脳の近くには動かない眼鏡の存在があります。無意識につけたままだったり、意識的に必要な状況ゆえにつけていたりする存在。身体とは蜜の仲である衣服。その衣服が覆えない顔に、ひとり、ぽつんと存在している眼鏡。眼鏡は顔という土地にそれぞれのスタイルで建てられた造形物。建築物のように耐震基準はないゆえに基準を満たしていないものも含め「眼鏡」ということを名乗ることが出来ます。身体に近い存在の衣服と眼鏡の違いのひとつに、視力補正、矯正という機能がある。強度の近視、遠視、弱視、斜視の人にとっては身体の一部として視力を補う役目を果たさなければならない。レンズが担う役目も含め、眼鏡は身体のなかにしっかりと入っている。眼鏡は身体だからなのでしょうか。心とのつながりを深く感じることがあります。身体の一部としての機能は進化し続ける眼鏡。テクノロジーの発達により、より良い機能性の眼鏡は市場には増えてきました。一方で軽くてかけ心地が良いのだけれど、耐久性の上で大切なものを削られてしまっているものも数多く存在する。眼鏡業界全体の縮図を客観視すると、なんだか文明社会の負の要素に似ているなと考えてしまいます。時々、お客様が20年も30年もたった眼鏡の調整に来られることがあります。今の眼鏡のように軽量ではないですが、ネジ一本の品質、鎧の強度、メッキ、塗装、溶接などがしっかりと施され、その眼鏡の生き様を眺めるとデザインの優劣抜きに誇らしげなのです。「誇らしさ」はどこから来るのだろうか。僕は真剣に「あなたとともに生きたい。」という、その眼鏡を産んでくれた、すべての関わりのある人たちの結晶だと思います。そして大切な人の飽きない相手であるために、研ぎ澄まされたデザインが必要になってくると思うのです。物言わない眼鏡の生きる矜持を「あなたとともに生きたい」という静かな思いを、お客様にお届けするのがクマシロ眼鏡店としての原点です。まだまだ優れたデザインのアイウェアたちと比べれば足らないところばかりですが、一歩ずつ歩んでいきたいと思います。歩めなくても歩んでいける。空を見上げれなくても空が現れる。風のように流れてゆく眼鏡店でありたい。

大好きなジャズドラマーMAX RoachのアルバムのタイトルDeeds,Not Words.言葉だけではなく、行為を。お店にずっと飾っているのは物言わない眼鏡の生きる矜持とどこか繋がってほしいとの願いをこめて。

今秋も素敵なデザインのアイウェアたちがお店の仲間入りをしました。まだ見ぬ相棒を想像しながら。


2017年秋、風、詩、旅、そしてサングラス。

ここでは逢えなくなった人たちが竜の背に乗って降りてきてくれたら、どれぐらい心がゆれるのだろうか。竜のサングラスをかけて遠い昔のアフリカの地の儀式のように歌い、踊り、祈れば、ちょっとは雲が仲介してくれて、降りてきてくれるのではないだろうか。綺麗な花柄のシャツを着ていれば、あの人たちは少しは喜んで来てくれるのかもしれない。と祈るように話しかけてみた。風に。粋な詩など出てこないけど、逢いたいって思いだけは伝わるのかな。ちょっとだけ、風に触れるぐらいの体温のままでいいから逢ってみたい。雲が何度も流れるたびに逢いたくても逢えない人の数だけは増えていく。雲が何度も流れる旅はいつまで続くのだろうか。見上げる空に慈しみをこめて。

2017年秋、風、詩、旅、そしてサングラス。