射し込む光という言葉。僕はおそらく、この言葉をよく使用してきたのですが、どうしてなのだろうか。晴れた日でも、曇りの日でも、山でも、海でも、公園でも、ライブハウスでも、クラブでも、コンビニでも、花を見るときでも、木を触るときでも、土を見つめるときでも、映画のワンシーンでも、街を歩いている時でも、食堂で食べている時でも、レストランでも、ジムでウォーキングをしている時でも、お寺で手を合わせる時でも、神社でお参りする時でも、音楽で踊っている時でも、djしているヘッドホンの中でも、射し込む光というものに救われてきました。そして、その光に身を委ねてきたのだと思います。どうしてなのでしょうか。解を結べることはできないのですが、照らされてきたことに、ぼんやりとですが、温かさと優しさを感じていたのでしょう。そして、闇だと感じないものでさえ、光の存在を感じた瞬間に闇が浮かび上がるのです。それは同時に光が闇を感じた瞬間でもあるのでした。光にも闇が、闇にも光が同時に生まれるのでしょうか。自然との調和の中での光ほど、周りのものを美しく魅せてくれるものはない。そして、そういうありのままの心象を与えてくれるような眼鏡をお届けしたい。光はつくるものではなく与えられるものなのかもしれません。柔らかな光の暖かさと優しさを忘れずに、地面からの視線ですべてのものを包み込みたい。眼鏡という贈り物と一緒に。

投稿者:Kumashiro  2018/01/06 13:15アート アイウェア ファッション 書籍 音楽