いろんな質感についての考察


 
CIEMAで久しぶりに映画を観てきました。やはり劇場はいいもんです。シアター1の方だったのでいつも座るレザーのソファーをキープ。ワインを飲みながらまったり、、色んなことから解放される時間。映画のストーリーがすすむにつれて展開的には飽きさせないスリリングなシーンの連続なんだけど、そこに入っていかない自分を発見。ちなみに観ている映画はイースタン・プロミス。根本的に映像や作家性が僕の好みではない質感だったんで違う部分で楽しむことに頭を切り替え、ロシアンマフィアの全身アルマーニの着こなしを堪能。ニヒルスティックでいけてます。
 
 やはり映画は楽しい。僕は昔から映画は観るものではなく感じるものだと考えてます。ストーリーよりも映像から漂う質感や空気感などがピタリはまれば心震わせられる傾向にあるようです。
 
 今年観た映画のなかでは長江哀歌の「質感」が導入のシーンからもっていかれました。空の色や光の波長。一音一音大事に組み込まれた効果音。影の落とし込みかたの風合いなどが肌に染み込んでくような感覚。そこで演じる人々の自然な生活感はまるでドキュメンタリーでも観ているようなリアリティーがありました。共産主義の文化圏だからこそ強い主張や表現を、そう伝えたいことを「映画」という芸術のオブラートでささやかに包み込むのでしょう。そのセンスに拍手を送りたくなります。
 
 たとえ政治的なメッセージが強い映画でも芸術のオブラートはそちら側のひとにはそこが届かないように魔法をかけなきゃいけないし。観る側は魔法を解く呪文をテレパシーでキャッチする。その行為こそが僕の「映画を観る」スタンスなのかも。
 
そういう意味では映画を観ることは原始的で人間の本能に近いのかも知れませんね。
写真の雑誌は映画観た後に買ったもの。丁寧に情熱がある創りで興味深く読んで楽しめました。
 
 

投稿者:Kumashiro  2008/10/09 21:11映画