8ミリカメラとじいさん

先日「宮沢動画工房」を立ち上げる予定の西岡さんからのお尋ねで、「随分昔の8ミリカメラのケースに「クマシロ眼鏡店」と書いてあるセリート(メガネを磨く布)が入っていたので、お店の方で当時販売されていたのでは?」とのことでした。「お店ではカメラを販売していたことは一度もないのですが、私のじいさんは趣味でカメラが大好きだったので、もしかしたらじいさんがカメラを磨くのに、お店のセリートを使用していた可能性があるのかもしれません。」とお答えしました。

『8ミリフィルムを用いた作品の本当の良さをできるだけ多くの人々に伝えたい』との西岡さんの思いから、お店でカメラとケースをしばらくお預かりし、今では貴重な8ミリのフィルムなどをお持ちの方がいらっしゃる際には、情報を西岡さんに提供しようと考えています。

8ミリの映像も、その時いっぱい見せていただいたのですが、じいさんや父にゆかりの場所や大阪万博EXPO70の映像もきらきらと動いていました。私が生まれた年に催された万博は、赤ん坊で抱っこされた私の当時の写真とも重なるようでした。記憶と記録のはざまに、はしごをかける8ミリフィルムには、説明しがたい憂いがありますね。

科学やテクノロジーの進歩はEXPO70ぐらいから急速にスピードをあげていきました。同時に日本は右肩上がりのグローバリゼーションを目標に掲げ、世界でも有数の経済大国となっていきます。

神代眼鏡店はその驚くような変化の中で、亀のようにゆっくり、ゆっくりお客さんと
ともに歩んできました。1868年創業以来、その遺伝子だけは変わらないでいたのだと思う。

ゆっくり、ゆっくり歩いていても、時には風が吹き、雨になり、雷が落ちるような恐怖が何度もお店を襲うことがありました。初代の幸三郎の跡をついだ2代目のよしふみは、お店を継承するにふさわしい人でしたが、ビルマで戦死しました。その後を継いだのが、弟の一民で今回のカメラを愛用していたと推測されます。

月日が流れ、私がお店に入り、少しずつ眼鏡店の経験を積んでいた頃にも、当時の裏の家の配電盤の欠落による火事でお店が全焼し、メガネ達も焼死してしまいました。その時のすべてを失う喪失感だけは今でも鮮明に覚えています。

けれどお店は無くならなかった。いや、支えていただいたのです。火事の後、ほとんどの冷たい目線のなか、呆然としているときに、近所の山ちゃんうどんの女将さんが
あったかいおにぎりをつくってきてくれて、何も言わずそっと渡してくれました。とてもあったかいおにぎりでした。

震災による津波で家や家族や友人をなくされた方々や原発で家に帰れない方々の計り知れない悲しみの大きさの前ではすべての言葉が陳腐なのかもしれません。

復旧、復興は一日でもはやくなんでしょうが、被災地の方の心はゆっくり、ゆっくり
と願い、祈りたい。

投稿者:Kumashiro  2011/04/05 16:33映画